2歳~3歳までの様子

上の子の2歳~3歳の様子を振り返ります。

 

成長の変化は次の2つぐらいです。

  • 母子分離ができるようになったこと
  • 歩行器(SRCウォーカー)を使って移動するようになったこと

 

2歳1か月で立位台をつくるために、身体障害者手帳の申請をしました。この時は1級1種という1番重度の判定でした。

歩けるようになったので、6歳の更新で5級2種になりました。足の装具や座位保持装置をつくるために身体障害者手帳は取得したままです。

身体障害者手帳があると、立位台などを1割負担で購入することができました。オーダーメードの物が多く、とても高額なので助成してもらえることはありがたいです。

 

2歳2か月頃から、通っていた児童発達支援のデイサービスで月に1回程度、預かり療育をしてもらうようになりました。数か月通って、通うたびに少しずつ別室で離れて過ごす時間をつくっていただいたおかげで、最初からスムーズに過ごせたようです。

私自身、自宅で一人で過ごす時間ができて、月に1回ですがとてもありがたい時間でした。

保育園の入園も決まっていたので、よい練習になりました。

 

2歳6か月ぐらいの頃、療育で知り合ったお母さんに勧められ、大阪にあるボバース記念病院を受診しました。

受診したものの「脳性麻痺よりも知的障害の影響が大きいのでうちでできることはないです。保育園に行ったほうがいいです」と言われました。すでに保育園に入園することは決まっていましたが、入園を迷っていたのも事実で、保育園に行くのが良いと言われたのが3回目となり、これは行かせるしかないと思いました。

 

2歳8か月になった4月に保育園に入園し、毎日午前だけ2時間の通園でしたが、最初に迎えに行った日は、号泣していました。しばらく泣く日が続き、6月頃にようやく泣かずに過ごすことができるようになりました。

毎日泣かれると、本当に保育園に入れて良かったのかと悩んだものです。今でも早く入れて良かったのかはよく分かりません。入れていなかった場合はどうなっていたかを比べることができないですから。

 

保育園に入園した頃から、PTで歩行器(SRCウォーカー)を使って動くことの練習を始めました。最初は後ろから押して、動くことが楽しいという経験からのスタートでした。

歩くという動きには程遠く、両足で床を蹴って、たまたま動くという感じでした。

それでもベビーカーや抱っこで移動するのではなく、自分の力で動けるということは、大きな変化だと思います。

この頃の移動手段は、お尻歩きのままでした。

 

ちょうど3歳になる頃に専用のSRCウォーカーをつくってもらい、園の行事にも利用していました。一人で動くことはまだ難しく、家の近くの公園まで行って練習していました。車も歩行器を積めるように荷台の大きな車にしました。

この頃は両手をつないで万歳のような姿勢で歩くことができるようになってきていました。まだ体はグラグラでした。

 

現在2歳7か月の下の子と比べると、全く違う成長です。物事への関心の度合いも違いますし、なんでも一人でやりたがる下の子、全く自分でしようとしない上の子でした。

1人になったり、気に入らないことがあったりすると床に頭をゴンゴン打ち付けていました。

夜も何度も泣いて起きていました。

 

ただ、下の子を育ててみて、当時は大変だと思っていた上の子ですが、何も言わず、グズグズ、イヤイヤすることもなく、やりやすい子だったのだと今になって思います。

お店に行ってもあれ買ってこれ買ってなんて言われたことがありません(笑)

 

 

まだ歩けない息子に楽しい時間を経験させてくださったデイサービスの先生方、ありがとうございました。

毎日泣いても泣いても温かく見守ってくださった保育園の先生方、ありがとうございました。

いろいろな装具を提案してくださり、週1回リハビリをしてくださったPTの先生、ありがとうございました。

 

 

今日もささやかな幸せを見つけられますように。

お読みいただきありがとうございました。

 

 

 

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