上の子にはてんかんもあります。
生まれた日の夜以降、痙攣発作はなかったので、
5歳の時に投薬は中止し、
8歳の時には1年に1度の脳波検査も終わりとなっていたのですが、、、
9歳になった頃に突然全身痙攣が起こり、5分以上治まらなかったので救急車を呼んで近くの日赤病院に運んでもらいました。幸い救急車が来る前に痙攣は治まり、後遺症はありませんでした。
10歳になった時には硬直する発作が起きています。
結局1年に1度の脳波検査が続いています。
いずれの発作も夜、寝ている時に起こっています。
もともと脳波異常はずっと続いていて、寝入りの時がひどいという話でした。
我が家は、もともと風邪などでも薬に頼らない方針で、9歳の発作の時に抗てんかん薬の再開を勧められたのですが、様子をみたいということで担当医にお願いしました。
再び1年後に発作が起きてしまいましたが、1年に1回程度の発作なら薬に頼らず発作と付き合うという選択をしています。
この選択が良いのかは今の段階では分かりようもありません。
ただ、抗てんかん薬を飲み始めると、一日3回の投薬の負担、数か月に1度の血液検査などいろいろと病院嫌いの上の子にも家族にも負担が大きいのです。確実に生活の質が下がります。
生まれてからのことを詳しく振り返ると、
上の子が退院したのは、生後24日でした。
生まれた日の夜に起きた痙攣をとめるために
呼吸器管理7日間、輸液管理14日間、保育器管理14日間を費やしました。
退院前にはMRIや脳波の検査をして、特に異常はないが神経学的発達については経過観察ということでした。
痙攣をとめるための注射が飲み薬フェノバールに代わり、徐々に減らしていくと言われていました。
退院してから県外の実家に帰省することにしていたのですが、私の母が心配のあまり、実家の近くにある大学病院を紹介してくれるように出産した病院に頼みました。
生後25日大学病院の小児神経科を受診し、脳波をとると、「脳波が幼い」と脳波異常を伝えられ、定期的に脳波検査をすることになりました。1か月ごとだったと思います。
結果として、生後4か月にその大学病院で脳性麻痺の兆候を指摘され、さらには脳波異常がひどくなり、薬を抗てんかん薬デパケンに切り替えることになりました。
ちなみに生まれた病院での4か月健診では、首すわりもう少し、1か月後に再受診という程度でした。
もし、母が大学病院を紹介してもらうと言っていなかったら、、、
脳性麻痺の兆候を見落とされ、リハビリの開始時期が遅れて運動機能が今よりも発達していなかったかもしれません。
ひどい発作が起きて、後遺症が出ていたかもしれません。
心配性の母にただただ感謝するしかありません。いつも大学病院の受診に付き添ってくれてもいます。
「ありがとう」
今日もささやかな幸せをみつけられますように。
お読みいただきありがとうございました。